「父さん…いつから知ってたの?」
閉店後のパブ・シーホーク。
カウンターの周りにだけ、明かりをともした店内で、
背中を向けて最後の洗い物をしている父、トラックスに、
ためらいがちに、ライムは小さく声をかけた。
「知っているも何も」
洗い終わったグラスを拭きながら、トラックスが振り向いて、笑う。
「お前は俺の息子じゃないか。息子の事ぐらい、分からなくて、どうするんだ。」
ライムが商人達に殴られていたとき、止めに入ってくれた偽ロビン。
その仮面の下から覗いていた見慣れた口ひげを見て、
ライムは、暫くの間、痛みも忘れて、唖然としていた。
どうして父さんが?
理由は一つしかない。
それは、
息子がロビンであることを、トラックスは知っていて、
いつかこんな日が来る事を予期して、用意を整えていた、そういう事なのだ。
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今日の昼間の騒ぎのおかげで、パブ・シーホークの店内は閉店間際まで賑やかだった。
騒ぎの仲裁に入った冒険者達に、次から次に振舞い酒が注がれ、
彼らも、そしてヤーマスの町人達も、皆一様に真っ赤な顔をして、浮かれ騒いでいた。
ライムは、冒険者達から離れるようにして、こそこそと給仕をしていた。
自分がロビンである事を、傍で共に戦った彼らなら、見破ってしまうかもしれないと危惧したからだ。
けれども、ライムがそっと彼らに向ける目線には、
正体がばれてしまうかもしれないという怯えだけでは無く、憧れも、込められていた。
自分が自分である事を偽る必要も無く、
正しいと思うことを堂々と行う事が出来る勇気を持った彼らを、
ライムは、羨ましい、と思っていたのだ。
昼間。
ライムは、ずっと、ずっと思ってきた事を、精一杯の勇気を出して町の皆の前で告げた。
仮面を付けないで、ありのままの自分で、彼らに思いを訴えかけたかったのだ。
けれども、それはやはり上手くいかなかった。
――いつもそうなのだ。
何かをしようとしても、自信が無くて。
ダメかもしれないと、先回りして考えてしまって、
やっぱり、ダメになってしまう。
そんな自分が嫌で、飲めもしないのに自棄酒をあおった日に、
怪傑ロビンは生まれたのだった。
ロビンは、ライムの心がこうありたいと思っている、理想の姿だ。
悪は許さない。見返りを求めない。
いつも朗らかに笑って、颯爽と駆けて行く。
きゅっと強めの洋酒をあおり、いつもの気弱な自分を捨てて、
怪傑ロビンの仮面を被っている時、ライムは何も怖くなんか無いのだ。
なのに、どうして、仮面を外すと、こんなに心もとないんだろう。
素顔を隠す事も無く、
町人達と賑やかに語らいあう冒険者の一行の傍らで、
ライムは、一人、悲しそうに顔を曇らせていた。
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「なあ、ライム。
お前が怪傑ロビンとして、町の皆に慕われている事を、
父さんは誇りに思っているんだよ。」
グラスを二つだけカウンターに残して、後を全て戸棚にしまうと、
トラックスは一番高い酒を棚の奥から取り出し、そのグラスになみなみと注いだ。
「でも、父さんはずっと気になっていたんだ。
どうして、お前は良い事をしているのに、
そんな風にいつも悲しそうな顔をして、何かを思いつめているんだろうってな。」
酒を一口きゅっとあおって、トラックスは、ふう、と息をついた。
ライムはもじもじとして、居心地悪そうにしている。
「けど、今日の一件で、一体何がお前をそうさせているのかが、
ようく分かった気がするんだよ。」
トラックスは、顔を上げて、ライムを見つめた。
ライムは、節目がちに、トラックスの顔を見つめ返した。
「――ライム。お前、あの人たちと一緒に、世界を旅して回っておいで。」
「―――!??」
「お前には、足りないものがある。
それを、あの人達は、きっとお前に教えてくれるだろう。」
「でも、…店は、良いの?」
「大丈夫さ、何とかなるよ」
「でも…でも、あの人たちが、ボクなんかを、連れて行ってくれるかなあ…」
「彼らが飲んでるときに、話してたのが聞こえたんだよ。
『パーティーのメンバーが足りないんで、是非ロビンに加わって欲しいもんだ』ってな。」
にやっと笑って、トラックスは、ほら、とライムに酒の入ったグラスを渡した。
ライムは、おずおずとそれを受け取った。
「明日、ウチにあの連中が顔を出したら、埠頭の倉庫でロビンが待ってるって言っておくよ。」
「―――明日!??」
「そうとも。善は急げというからな。
知ってるか?ライム。チャンスの神様ってのはな、頭の前側にしか髪の毛が無いんだぞ。」
「――???」
「チャンスってのは、来たそのときに正面から捕まえないと、
行き過ぎてから捕まえようとしても、捕まえられないんだよ。」
「―――」
ライムは、グラスをきゅっと握り締めた。
「さあ、乾杯をしよう、ライム」
トラックスが、グラスを傾けた。
「お前が次にここに帰ってくる日は、足りないものを見つけた時だからな。
それまで、存分に世界を巡って、色んなことを経験して、
自分に足りないものは何か、その答えを探してくるんだぞ。
いいな。父さんとの約束だ。」
「―――うん…」
「乾杯」
チリン、とグラスをかち合わせて、
トラックスはグラスの残りを全部一気にあおった。
ライムはそれに見習って、
グラスいっぱいの酒を、一息で、飲み干した。
酒は、半年前、初めて飲んだ日のようには、ライムの喉を焼かなかった。
ライムは、いつの間にか酒が平気になっている自分に、今初めて気がついた。
「おやすみ、もう寝なさい。明日は早いんだからな。」
くしゃっ、と、自分によく似た、ライムの猫ッ毛をかき混ぜながら、
トラックスはそう言った。
ライムはこくんとすなおにうなずくと、カウンターにグラスを置いて、寝室へ上がっていった。
一人きりになったカウンターで、
トラックスは、空いたグラスを見つめて、少しだけ、寂しそうに笑った。
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